経営理念

経営理念は、(有)ささきグループの
そして、私達の社員一同の存在理由です。

経営理念

  1. 私達はよりよいサービスと、より確かな技術で、お客さまひとりひとりに満足と感動をしていただくことを目指します。
  2. 私達は実践することにより、働くひとりひとりが豊かな生活と明るい将来を築くことができ、平和な地域社会づくりに役立つ人間集団を目指します。

この経営理念のもと、共に働き、共に学び、
互いに切磋琢磨しあえる環境づくりを実践していきます。

ひとりひとりに満足と感動を。取り組みのすべてが「共育」
(有)ささきグループ 代表取締役 佐々木 哲雄

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経営は楽しくやるため

理念というと、暗い、難しそうなイメージがありました。 しかし、どんな会社、どんな個人にも、何のために会社を経営しているのか、何のために働くのか、その人なりの思いがあります。 生きる目的、存在理由を明確にしたものが経営理念であり、自分の生き方を貫くためのものだと思います。 大事なことは、それが自分にとって楽しいかどうかです。

経営理念「1、私たちは、よりよいサービスと、より確かな技術で、お客様、ひとりひとりに満足と感動をしていただくことを目指します」―当社はヘアーサロンです。 技術とサービスを磨くのは、お客様に喜んでいただく最低限のこと。 お客様は、求めるものが一人ひとり違います。 何を求めているかをキャッチして対応することが大切です。

経営理念「2、私たちは、オーナー制度を実践することにより、働く、ひとりひとりが、豊かな生活と明るい将来を築くことができ、平和な地域社会づくりに役立つ人間集団を目指します」―オーナー制度とは、以前はスタッフが不動産を取得し、資産形成をするというものでした。 不動産価値が目減りしている現在では、中身を置き換えて、社員の資本参加により強じんな会社を作る、社債での資産価値形成を、と考えています。

当社のビジョンは少し変わった絵で表現しています。 細胞分裂のように店舗展開し、最終的には呉市内50店舗、200名のスタッフでやりたい。 そうなれば、人を使うのが下手な人、なかなか免許の取れない人等、それぞれの持ち味を活かせる環境が作れます。 また、障害者の雇用もしたい。 50店舗にもなれば、タオル屋、弁当屋もつくって、多様な働く場所を提供できます。

豊かさとは人の役に立つこと

豊かな生活とは何か。 大切な社員を病気で亡くした経験をしました。人生にとって大切なものは何か、あらためて考えさせられました。

豊かさとは何か。 会社とは何か。 働くとは何か。 人間とは何か。 豊かさとは、人の役に立つことではないかと思っています。

当社では、教育委員会、求人委員会、企画委員会をつくり、スタッフがいろいろな取り組みをしています。

教育委員会は、先輩が後輩に順繰りに教える「順次教育」をしています。 後輩が教わるのはもちろん、先輩も教えることで教わり方を学びます。 仕事ができる人間になるには、技術教育とともに人間教育が大事です。

求人委員会では、スタッフが自分の母校で、求人のお願いをします。 当社には、1キロメートルが何メートルかわからないような子も少なからず就職してきます。 そういう子が母校を訪ねて、先生に「わしはこうなった」と自慢できるようになればと思います。

企画委員会は販売促進の企画を立てます。 当社では、65歳以上は半額というシルバーサービスを行っています。 一番のヒット企画ですが、これは売上を上げるためのものではありません。 財産はあってもお金のないお年寄りの多くは当店に散髪に来れず、ディスカウントの散髪屋に行っています。

久しぶりに来店された方に、「4000円くれ」と言えず、「2000円」と言ってしまいました。 その人だけ半額はまずいので、「本日ただいまより65歳以上の方は半額」と宣言を出しました。 これがシルバーサービスの始まりです。 当初は売上が下がるのではと心配しましたが、おかげで客数が増え、売上を維持することができました。

スタッフと共に生き、共に育つ

当社では、すべての取り組みが「共に育つ」教育であり、それが結果として売上につながっています。

こうした考えの背景にはオヤジの影響があります。 土建屋の親方で、飯場には、指がない、背中に柄がある、日本語を話せない、そんな人たちがたくさんいました。 オヤジは世の中からはみ出した人たちに生活の場を提供し、少しでもまっとうに生きていくよう努力していたのだと思います。

もう1つは私自身の経験です。 私は若いころ、思い通りに生きたくて独立を志しました。 15歳の時、住み込みで勤めた理容院で人の倍がんばりましたが、給料は少なく、先の見通しもない。 こんなことをしていていいのか、これからどうなるのか、不安と不満だらけでした。

22歳で独立。 ところが、初めて採用した社員が辞めたいと言い出しました。 私自身が丁稚(でっち)時代に味わった惨めな心境とまさに同じだったのです。 愕然(がくぜん)としました。 「嫌な経営者」になっていたのです。

同友会と出合い勉強することで、自分のやってきたこと、やりたいことを整理し、「観」を語れるようになりました。 理念はメシを食う道具ではない、生き様を貫くこと、その結果としてメシが食えると、私は言いたいです。

「中小企業家しんぶん」 2004年 5月 15日号より